いま明かす! 旅を通じて広がった世界100景Y&Y

アクセスカウンタ

zoom RSS 2024年に発行予定の1万円札の顔になる渋沢栄一を知るために渋沢栄一史料館を訪れました

<<   作成日時 : 2019/04/21 03:56   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

東京のJR王子駅近くにある飛鳥山公園の一角にはかつて渋沢栄一が邸宅として構えた日本館、西洋館、茶室、文庫などがありました。
第二次世界大戦の空襲により大部分は焼失しましたが、晩香廬と青淵文庫は現存していて、渋沢栄一史料館では渋沢栄一の生涯と事績に関する資料が展示されています。
どういう人だったのか詳しく知りたいと興味を持ったので、渋沢栄一史料館を訪れてみました。

渋沢栄一
1840年に埼玉県深谷市に生まれました。
家業の農業・商業を手伝うかたわら、尊王攘夷思想に傾倒しましたが、縁あって一橋慶喜の知遇を得て家臣となりました。
1867年にパリ万国博覧会の幕府使節の一員として渡仏して、ヨーロッパの文明に触れて感銘を受けました。
明治維新となり欧州から帰国した栄一は、徳川慶喜が隠遁した静岡に「商法会所」を設立しました。
大隈重信の強い要請で明治政府の大蔵省の一員として新しい国づくりに深く関わります。
その後は、一民間経済人として活動しました。
「道徳経済合一説」を説き続け、第一国立銀行をはじめ約500社にのぼる株式会社・銀行の設立、経営指導に尽力しました。
また、約600の教育機関 ・社会公共事業の支援並びに民間経済外交にも取り組み、近代日本の経済社会の基礎を作りました。


旧渋沢邸に残る大正期に建設された青淵文庫と晩香廬の2棟は重要文化財で、内部の公開がされています。

1.青淵文庫
渋沢栄一の傘寿と子爵に昇格を祝って、竜門社が贈呈したものです。
建物には渋沢家の家紋をモチーフにした装飾タイルが約2700枚も貼られています。
すべての工程が職人による手作業で作られたものです。
閲覧室のステンドグラスは、タイルと同じく渋沢家の家紋をモチーフにして、中央には「壽」の飾り文字が見えます。

画像


画像


画像


画像


2.晩香廬
栄一の喜寿を祝って清水組より贈られた洋風茶室です。
渋沢邸を訪れた賓客をもてなすために利用されました。
清水組が危機を迎えた時、渋沢栄一は支援・助言をして、その後は相談役となって常に見守り続けました。
洋風茶室と家具・調度品を揃えて丁寧で繊細な仕事で体現された建物は、言葉で言い表せないほどの渋沢栄一への感謝と尊敬の念が溢れているのです。

画像


かつては邸宅や茶室があったところは旧渋沢庭園となっています。
画像



テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文

私のサバイバル英会話

2024年に発行予定の1万円札の顔になる渋沢栄一を知るために渋沢栄一史料館を訪れました いま明かす! 旅を通じて広がった世界100景Y&Y/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる