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zoom RSS いにしえの風景に思いを馳せ、日本最古の道「山の辺の道」(天理〜三輪)をハイキング【第二段を追記】

<<   作成日時 : 2016/05/01 09:34   >>

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奈良盆地の東の山裾を南北につらなる「山の辺の道」は日本最古の道といわれています。
「山の辺の道」の呼称は、古事記に記された「崇神天皇の御陵は山の辺の道のまがりの岡の上にあり」に由来していて、4世紀には利用されていました。
本来は桜井市の三輪から奈良市内まで道は続きますが、私たちは天理駅から三輪駅までの約16kmのコースを7時間半ぐらいかけてのんびりハイキングしてきました。

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1.石上神宮
祭神は、東征中の神武天皇を熊野で助けたという霊剣・布都御魂大神。
石上神宮は、古代豪族・物部氏の総氏神であり、大和朝廷の武器庫であったともいわれています。
国宝の「七支刀」を、伝世以来、石上神宮の御神体同様のものとして奉斎されてきたとのことです。
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神武天皇を助けた霊剣・布都御魂大神
神武天皇は「東方に国の中心で、すばらしく美しい土地がある」と、九州の高千穂宮を出発し、船で海を渡り、大和に向いました。途中幾多の困難に遭遇しながら進んでいきます。熊野では賊の毒気にあたって全軍が壊滅寸前の状態に陥ります。その時に高天原から降ろされた一ふりの横刀(たち)(またの名を布都御魂・ふつのみたま※日本書紀では韴霊・ふつのみたま)を、高倉下(たかくらじ)が神武天皇に捧げます。するとこの横刀のもつ不思議な力、起死回生の力によって神武天皇の一行は蘇り、賊も退散。神武天皇は、無事に大和を平定することができました。(石上神宮HPより)


国宝「七支刀」
特異な形をした鉄製の剣で、全面が鉄さびに覆われています。
剣身の棟には表裏合わせて60余字の銘文が金象嵌で表わされいています。
この七支刀は、日本書紀の神功皇后摂政52年に百済から献上されたとみえる「七枝刀」にあたると考えられています。
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境内には立派な鶏がたくさんいます。
神代の昔、天の岩戸開きの神話に、常世の長鳴きの鳥を鳴かせて闇を払い夜明けを告げ、天の岩戸を開いたという神話により、鶏は神道と関係の深い吉祥の霊鳥とされています。
この謂れにより、石上神宮では鶏を境内に放し神鳥として大切にされています。

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山の辺の道あたりでは多くの万葉歌が詠まれました。
柿本人麻呂や額田王をはじめ万葉歌人が詠んだ歌にちなむ場所に歌碑が建てられています。
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道沿いには、農家直売の獲れたての新鮮な野菜・果物類が1コイン!たったの100円で購入できる無人の販売所がいたるところにあります。
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2.長岳寺
平安時代に空海が創建したという古寺で花の寺としても知られています。
本堂前の池にはカキツバタがちょうど見頃をむかえていました。
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境内の沿道に見事なツツジがびっしりと咲いていました。
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庫裏でにゅうめんをいただきました。
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3.崇神天皇陵
全長240mの前方後円墳。
第10代崇神天皇の陵とされ、周囲には濠がめぐらされています。
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さらに行くと景行天皇陵もあります。
全長300mの前方後円墳で古墳時代前期では全国最大規模といわれています。
第12代景行天皇は皇子の日本武尊を各地に派遣して朝廷の勢力を広げたといわれています。



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大和三山のうちの耳成山と畝傍山が見えます。
さらに遠くには二上山、葛城山、金剛山も見えます。
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なだらかな円錐形の三輪山の景色が広がります。
また、三輪山の景色を読んだ万葉歌人・額田王の歌碑があります。
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4.檜原神社
崇神天皇の時代、それまで宮中に祀られていた天照大神をこの地に遷し祀られたのが檜原神社のはじまりです。
その後、天照大神は永久の宮居を求め各地を巡幸し、最後は伊勢に鎮まり、これが伊勢の神宮の創祀と伝わっています。
このため、檜原神社は「元伊勢」と呼ばれています。
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ハイキングで気づいたのですが、崇神天皇陵や崇神天皇に関係する檜原神社・大神神社を実際に訪れたり、古事記で「山の辺の道」の由来を知ることで、かつてこの辺り一帯に大和朝廷が存在して発展していき、のちに史実の飛鳥地域に都が移っていったのではと実感しました。



狭井神社にも立ち寄りました。
病気平穏の神を祀り、拝殿左手奥にある「薬井戸」から万病に効くという神水が湧きだしています。

さらに大神神社へと道は続きます。
 大神神社のブログ記事はこちら → http://19741230.at.webry.info/201508/article_2.html


山の辺の道のハイキングは、予想以上に楽しめました。
あたりいっぱいに広がる大自然、
いにしえの風景に思いを馳せることができる神社や多くの古墳、伝承、
景観が維持されていて、観光地化されず素朴さが残っていて、
無人の野菜販売所では新鮮で安くて美味しい野菜・果物を買い求めができる楽しみもあり、
さらに、奈良市内からもアクセスしやすい、気軽に歩けるハイキングコースです。

また違う季節にハイキングと野菜・果物を買いに訪れたいと思いました。



山の辺の道ハイキング第二段

今回は、柳本駅で下車して、黒塚古墳に立ち寄ってから、正面から崇神天皇陵を見て脇道を歩きました。
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その後、珠城山古墳群の頂上付近から見た景行天皇陵と田園風景は、いにしえの史跡と農村が共存する願望で絶景でした。
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前回のハイキングコースから少しコースを外れて、景行天皇が即位後に宮殿を設けたといわれる「纏向・日代宮跡」伝承地に立ち寄りました。
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今回は大神神社からさらに南下して、金谷の石仏を経て、山の辺の道の終点「仏教伝来之地」碑まで行きました。
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この碑がある河畔一帯は、崇神天皇が営んだとされる宮「磯城瑞蘺宮」伝承地や最古の交易の市「海石榴市(つばいち)」等の史跡が残り、古代大和朝廷の中心であったようです。
難波津から大和川を遡行してきた舟運の終着地で、大和朝廷と交渉を持つ国々の使節が発着する都の外港として重要な役割を果たしたようです。
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欽明天皇十三年、百済の聖明王は使者を遣わして、釈迦仏金銅像等を献ると日本書記に記された仏教伝来の百済の使節もこの港に上陸して、近くの宮に向かったといわれています。
また、推古天皇十六年、遣隋使の小野妹子が隋の裴世清を伴って帰国し、飛鳥の京に入る時、ここ海石榴市で迎えたと記されています。

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