いま明かす! 旅を通じて広がった世界100景Y&Y

アクセスカウンタ

zoom RSS 奈良の吉野山は桜の名所だけでなく、源義経や後醍醐天皇、豊臣秀吉も訪れた歴史の舞台がたくさんあります

<<   作成日時 : 2016/04/17 20:10   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0

4月10日(日)、奈良県の吉野に日本一といわれる桜を見に行ってきました。
吉野には桜以外にも源義経や後醍醐天皇、豊臣秀吉とゆかりが深いところがたくさんありますので、歴史散策も兼ねて楽しんできました。

1.𠮷水神社
7世紀後半の白鳳年間に、修験道を始めた役行者の創立と伝えられる吉野修験宗の僧坊で、もとは𠮷水院といいました。
日本最古の書院建築といわれる建物内には、歴史の舞台となった部屋や宝物を見ることができます。

(1)源義経・静御前 潜居の間
画像

平安時代末期、
平家を滅ぼした後、源義経は兄の源頼朝に追われて、吉野山に落ちのび、𠮷水院に静御前、弁慶等と隠れ住みました。
ここも追討を受けたため、義経はやむをえず山伏の姿に変え、弁慶らと大峰山を目指しました。
大峰山は女人禁制であったため、義経と静御前が生き別れたところです。

「吉野山 峯の白雪踏み分けて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」 静御前


(2)後醍醐天皇玉座の間
画像

鎌倉時代末期、
北条氏の鎌倉幕府を倒し、建武の中興を成し遂げた後醍醐天皇が、足利尊氏に京の都を追われ、吉野に潜幸した際、ここが南朝の一時の御所となりました。
後醍醐天皇は王政復古の夢はついに果たせず、失意のうちにこの地で崩御されました。

「花にねて よしや吉野の吉水の 枕の下に石走る音」 御製


(3)豊臣秀吉の吉野花見の本陣
安土桃山時代、
豊臣秀吉は、総勢5000人を引き連れて、花見に訪れました。
南朝を偲んで𠮷水院を本陣として、盛大な花見の宴が行われました。
後醍醐天皇玉座の間であった部屋を秀吉は修繕して滞在し、茶会、歌会等を催し、その権勢を天下に示しました。

「年月を 心にかけし吉野山 花の盛りを今日見つるかな」 豊臣秀吉


𠮷水神社書院内の展示室には、
色々威腹巻(義経の鎧)、弁慶の武装槍・篭手、静御前の鐙等、
画像

後醍醐天皇の御物(後醍醐天皇所持の蝉丸の琵琶、硯箱等)、さらに豊臣秀吉が愛用した金屏風(「桜の図」(狩野永徳筆)、「竹の図」(狩野山雪筆))と寄贈した青磁の壺、花瓶等が展示されていました。
この地の歴史を証明する宝物の数々が展示されていて、とても見応えがありました。

画像

境内から千本桜の眺めも素晴らしかったです。


2.義経隠れ塔
金峯神社の拝殿脇を下るとある、源義経が追手から逃れるために隠れたお堂があります。
画像

義経は、吉野を脱出した後もさらに逃亡を続け、奥州平泉の地で非業の最期をとげました。


3.如意輪寺
後醍醐天皇の勅願寺です。

画像


本堂背後の山には、京都を望む北を向く後醍醐天皇の陵があります。
画像


後醍醐天皇の忠臣・楠正成の子、正行(まさつら)は、北朝方と最後の決戦に向かうに当たって、一族郎党と陵に参拝した後、辞世の歌を如意輪寺のお堂の扉に刻んで出陣して、四条畷の決戦で最期をとげました。
宝物館には、その正行公辞世之扉や、正行の兜、鎧、短刀等が展示されていました。


テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 2
なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文

私のサバイバル英会話

奈良の吉野山は桜の名所だけでなく、源義経や後醍醐天皇、豊臣秀吉も訪れた歴史の舞台がたくさんあります いま明かす! 旅を通じて広がった世界100景Y&Y/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる