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zoom RSS 大阪城を散策して、今、目にする城跡の櫓や石垣など全て江戸時代に徳川幕府が再建したものとわかりました

<<   作成日時 : 2016/03/05 09:44   >>

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毎週楽しみにしているNHK大河ドラマ「真田丸」。
大阪城天守閣で「真田幸村をめぐる人々」という企画展示が行われているので行ってきました。
大阪城を訪れるのは学生の時以来の久しぶりです。

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現在、地表に見える大阪城の遺構は江戸時代のもので、櫓や石垣など全て徳川幕府によって再建されたということが発掘調査で判明しています。
豊臣秀吉によって築かれ、豊臣氏の居城および豊臣政権の本拠地となりましたが、大坂夏の陣で豊臣氏の滅亡とともに焼失しました。
徳川幕府は豊臣氏築造の城跡に高さ数メートルの盛り土をして再建し、西日本支配の拠点としました。
天守の位置も変更されたようで、豊臣氏時代の天守は現在のものより東に建っていたようです。

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現在の大阪城天守閣は、昭和6年に大阪市民多数の寄付金を元手として、「大坂夏の陣図屏風」に描かれた豊臣氏時代の天守を参考に建設されました。
現在、国の登録有形文化財になっています。

内部は、8Fは展望台、7Fから1Fは豊臣秀吉とその時代、大阪城を紹介する展示室となっています。
5Fでは、「大坂夏の陣図屏風」に描かれている各場面の武将とストーリーが解説されていて、真田幸村隊と松平忠直隊の激戦部分をミニチュア人形で再現しています。
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今回の企画展示では、真田幸村と兄の信之の具足がそれぞれ展示されていました。
この他、武田二十四将図などや日本史の教科書で見たこともあるものもあり見応えがありました。


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堀の掘削や石垣の構築は西国と北陸の諸大名が幕府の命を受けて担当しました。
石垣には、多種多様の文様や記号が刻み込まれていています。
これは「刻印」といわれ、大名の家紋を刻んだものがあり、江戸初期の再築の折に、石垣を築いた大名の持場を示しています。

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桜門枡形の正面にあるのが城内第1位の巨石として知られる蛸石です。


天守から一段下ったところにある山里丸。
ここは、豊臣秀吉や家族が茶会や花見を楽しむくつろぎの場所でした。
大坂夏の陣で落城の際、淀殿や豊臣秀頼母子が自刃したところと伝わっています。


学生の頃に訪れたときのことはほとんど記憶にないのですが、今回、久しぶりに大阪城を訪れて歴史散策しながら一周散歩していると、大阪城の天守、石垣のことや、豊臣氏時代の遺構が地下に残っているというのことも知ることができ、勉強になりました。


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